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土の器に宝を入れて、キャンパスへ

執筆者の写真: KGK公式ブログ
KGK公式ブログ
4 時間前
読了時間: 3分

良書紹介#158 執筆担当:岩井律(中四国地区担当主事)


この夏、あなたの心には何が残ったでしょうか。何が心に留まったでしょうか。私の心に最も深く残ったみことばは、コリント人への手紙Ⅱ 4章7節です。


「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」


福音の美しさに、心動かされることがあったでしょうか。学期中とは違う日常を過ごす中で、特に合宿などに参加する中で、福音という宝の輝きをじっくり見つめたことだと思います。キリストの十字架と復活を通して私たちに与えられた救いの恵み。その宝を私たちは受け取って、携えています。そして、その宝をまだ知らない、しかし必要としている友人たちのところに遣わされていこうとしています。


でも同時に、器としての自分のみすぼらしさに葛藤することもあったでしょうか。「土の器」は、安価で耐久性の低い容器です。福音という宝の輝きと比べるならば、それを入れて携えている私たちは、土の器のような存在です。


夏の間には、忙しい日常の中では考えないようにしていた「本当の自分」と向き合う時間があったと思います。実はボロボロだったことに気がついたかもしれません。イエス様とともに歩んでいるなんて、到底言えない自分。こんな自分がイエス様を証ししたら、逆につまずきになってしまうのではないか。


人前では立派に見せていても、隠れたところでは立派じゃない自分。福音を伝えるたびに、「でもお前はどうなんだよ」と自分で自分を責める声が聞こえてくる。

 

福音という宝のすごさを味わった分、その宝を入れるにはふさわしくない土の器である自覚も強まった夏だったかもしれません。

 

そして、新学期、またあの日常に戻ることを考えると憂鬱になることもあるでしょう。広大なキャンパスで、他にクリスチャンはほとんどいない。ここにこんな私が遣わされているのか。土の器は孤独と不安を感じます。


でも、神様はこの土の器に福音という宝を入れてくださいました。「この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるため」でした。

 

福音の輝きが、容器である私たちの輝きではなく、神の栄光の輝きであることを明確に示すためです。宝は、この容器のおかげで輝いているのではなく、こんな容器にもかかわらず輝いている。


だから、土の器に宝を入れて、私たちは遣わされていきます。みじめな罪人の私たちが正直にそれを認めるときに、遣わされた場所で、福音の光が輝くのです。私たちが、土の器にではなく、宝にこそ自信を持ち、宝を誇りとする新学期になりますように。

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