心に納め、思いを巡らす
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- 3 日前
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ショートメッセージ#121 執筆担当:飯沼偲(東海地区責任主事)
しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
ルカの福音書2章19節
一説によると、キリスト教の迫害が落ち着いてきた5世紀ごろからアドベントの習慣が広まり、イースターと同じように断食の期間もあったようです。その断食には食事やその他の欲望を断つことで(煩わしさから解放されることで)、この世の関心ごとを一時的に手放し、神様との関係をもう一度思い出す役割があります。
現代の世界を見ていると、自分自身も含め、さまざまな情報の渦に飲み込まれている印象を受けています。「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分の情報量」という研究もあり、私たちの脳はフル稼働で動きつつも、情報の上っ面だけを「理解」し、深掘りができない状態であると思わされています。
そんな中、アドベントのこの時期に、マリアの待ち望みかたに目が留まりました。
彼女は生まれてから十数年とはまったく違う約1年の期間を過ごしていたことでしょう。天使のお告げ、ヨセフからの情報、エリサベツとの交わり、羊飼いたちの知らせ。彼女の耳にはこれまでにないほど、処理をしなければならない情報が多く届けられたのではないかと思います。
その中で、彼女は情報に麻痺するのでもなく、前節のように羊飼いの話を聞いて、ただ驚いた人々のように反応するのでもなく、このクリスマスの一連の出来事(言葉)を「すべて心に納めて、思い巡らしていた」と聖書に書かれています。
これらの言葉は、それぞれ「保護する」こと、「協議すること」を意味する言葉であり、与えられた御言葉を聞いただけでなく、ブックマークし、何度も読み返し、思考するようなマリアの姿を覚えさせられます。
そんなマリアの姿に、私自身や学生たちがどのような御言葉との向き合い方をしているかと改めて問われた思いもしました。普段の忙しさもさながらクリスマスの中で、毎年この時期に与えられている御言葉、主の誕生と恵みを大切に心に納め、何度も思いを巡らす、そんな間の時間をどれだけ大事にしているだろうかと思わされました。
このキリストの初臨を覚え、再臨を待ち望むこのアドベントの時期に、改めて、この御言葉がいったい私にとってなんであるのか、上っ面の情報ではなく、御言葉を手のひらの上にしっかりと置き、思い巡らしてみたいと思わされています。






