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アンビリーバボー!!〜御使いの視点から見るクリスマスの出来事〜

  • 執筆者の写真: KGK公式ブログ
    KGK公式ブログ
  • 6 日前
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ショートメッセージ#124 執筆担当:池淵亮介(関西地区責任主事)


イエス様がこの地上に生まれた誕生をお祝いするクリスマス。「クリスマス、おめでとう!」人の誕生日は普通、誕生した人本人をお祝いします。 当たり前のことです。

でも実は聖書をよく読んでみると、クリスマスの出来事ではじめにお祝いされているのは、誕生したイエス様の側ではありません。祝われたのは、僕ら人間の側です。


「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1:27)とマリアは、御使いガブリエルからお祝いされました。「おめでとう。誕生されたイエス様!」とは言われていないのです。


御使いたちは、旧約聖書から待ち望まれていた「救い主の到来」と、それによって成就する「わたしたち人間の救いの約束」の中身を、知っているわけです。だからこそ「祝われるべきはあなたがた人間の方ですよ」「この新しい契約(約束)の成就が、今あなたに与えられたんですよ」と、 御使いは人をお祝いしているのです。これがクリスマスの本当の意味です。イエス様というプレゼントが人に与えられたことを祝うのがクリスマスです。

ある人はこんなことを言ったりします。「キリスト教で一番信じられないことは、イエスキリストの復活だ」と。


けれども、実は、御使いたちにとっては、一番信じがたいことが起こったのは、復活の出来事ではありません。むしろ、このクリスマスのキリストの受肉の出来事が、一番信じがたい出来事でありました。なぜなら、神が、人として、この地上に生まれたということこそが、ありえないことだからです。キリスト教で、実はこの神であるキリストが人となって地上に来られたという出来事(受肉の出来事)こそが、一番信じがたいことなのです。


そして、このクリスマスの出来事、つまり神であるイエスキリストが人となってこの地上に生まれてきてくださったことを信じることができたのならば、あとのことは、むしろ当然に、信じうることになっていきます。なぜなら、イエス様は神であるのだから、湖の上を歩いたり、病の人を癒したり、十字架の死の後、復活されたりすることは、神として当然できること、全て信じることができることとなっていくわけです。

クリスマスの出来事の中でもう一つ紹介したいことはこれです。

ある夜、夜番をしていた羊飼いたちが、御使たちの賛美を聞いた出来事がありました。


「すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。」

「いと高き所で、栄光が神にあるように。 地の上で、平和が みこころにかなう人々にあるように。」(ルカ2:13-14)


ここで、御使たちは、なんと自分たちだけではなく、おびただしい数の天の軍勢というバックコーラスを引き連れて、「いとた〜かき〜🎶とこ〜ろに〜🎵」と歌いました。

実は、こんな大掛かりな賛美がなされたことは、聖書の他の箇所のどこを見てもありません。強いて言うならば黙示録に出てくるくらいです。イエス様の復活の時にだって、天使の大軍勢が賛美したなんてことは記されていません!


それは、上記のように、このイエスキリストの受肉こそが、御使たちにとっては、信じられないほど驚きの出来事だったからです(復活よりも)。なぜなら、なんの不自由のない神であられる全能者なるお方が、無茶苦茶不自由な、はかないいのちをもつ人間の赤ん坊として生まれたのですから。そして、出来ないことだらけ、生きていくことだけでもお世話をされなければいけない、しかも、いつ死ぬか、殺されるかもわからない環境にさらされて、何年もかけて人に育てられていく。やがては、成人したとなったら、十字架にかかって殺されていく、そんな人生を、イエス様はご自分で決意されて、そのことを良しとされて、この地上に人として生まれてくださったからです。

このBlogを読んでくださっている皆さん、お風呂の排水溝の掃除をしたことはあるでしょう。そこには髪の毛とかからまって、なにかわからない、あの、ねちょってした汚いところに、手を突っ込んで「うわっ、汚なっ!」て感じながら掃除をした経験があるでしょう。

わたしたちが生きる世界は、神様が愛され創造された美しさがあります。しかし、それと同時に、罪のゆえに堕落した部分、聖なる神様が忌み嫌われる罪の部分があります。そして、神の子であるイエス様は、そのまさに汚れた罪をその身に背負って解決をするためにこの世界の中に生まれてきてくださったのです。それは聖なる神様にとってありえないことでしょう。罪にまみれた汚れそのものをご自身でその身に引き受けてそれを解決されようとイエス様が願われたということが、どれほど大きなことかがわかると思います。

クリスマスの出来事は、それほどに御使たちにとって、信じられない出来事が起こったということです。私たちの救いの契約を成就するために。だからこそ、バックコーラスつきの天の軍勢がこの出来事を賛美した。


それがキリストの受肉の意味、クリスマスの出来事の意味なのです。

そして、それは、罪と闇に苦しむ私たちのところに、神ご自身であるイエス様が来てくださることによって、「神が私たちとともにいてくださる」ためなのです。

メリークリスマス!

この一年間もKGKのことをお祈りに覚えていただき、ご支援くださりありがとうございます。

よいクリスマスを!そして、よいお年をお迎えください。

皆さまの上に、特別な神様の祝福がありますように。

「見よ、処女が身ごもっている。 そして男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である。」(マタイ1:23)(*イザヤ7:14)

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネ1:18 )

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