アドベントに何を待つ?
- KGK公式ブログ

- 12月22日
- 読了時間: 3分

ショートメッセージ#123 執筆担当:渡邊桃子(研修メンバーケア担当主事)
アドベント(待降節)と聞くと、皆さんはまず何を思い浮かべますか?アドベントカレンダーやリースなどクリスマスに心を向かわせる物や、聖書でいうと受胎告知、預言、飼葉桶など、イエス様の誕生に関連することをイメージする人が多いのではないかと思います。
アドベントのひとつの目的は、イエス様の誕生を待ち望んだ人々に想いを馳せ、私たちが救い主を必要とする存在であることを認め、救いがもたらされている喜びや神様との関係を思い起こすことです。しかし、アドベントにはもうひとつの目的があります。それは、イエス様が再び来られる「再臨」を待つことです。
「腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。」ルカの福音書12章35~37節
これはイエス様の言葉で、やがてご自分が再び地上に戻られることと、それに向けて人々がどう備えるべきかを説明されています。ここでは備えについて、すぐ動けるよう帯を締めておくこと、いつ主人が帰ってきても大丈夫なよう明かりを絶やさないこと、出迎えられるよう目を覚ましていることにたとえられています。これは物理的に寝るなと命じられているわけではなく、霊的な意味で怠けず、主人であるイエス様を期待して、待つ心を持つよう注意しなさいということです。同じ命令は、マタイやマルコの福音書にも記されています。
私はこういった箇所に出会うと、まず「何をしたらいいか」と、目的を差し置いて自分の状態を考えがちです。確かにこの箇所は私たちに備える姿勢を問うているのですが、しかし、そもそも何のために備えるのかという目的を知っていないと、適切な待機方法を整えることはできません。何を待つかによって、私たちの事前の行動は変わってきます。気心知れた友人が来るのを待つのと、就職活動で面接官を待つのとでは準備が異なるように、アドベントでは待つ姿勢のこと以前に、待つべき目的を明確にしておく必要があります。
冒頭で書いたように、アドベントでイエス様の誕生を思い起こすことは間違いではありません。けれども、時系列として私たちが今後待つのは、再び地上に来られるイエス様です。
再臨の時になると、世界から死や悪が取り除かれ、神様の救いが成就し、新天新地が来ると黙示録は記しています。また、世界に光が満ち、悲しみや苦しみはもはや存在しなくなるとも書かれています。再臨は救い主イエス様と対面する時であると同時に、すでに神に召された人と再会する時でもあります(テサロニケ第一4:13-18)。美しく、希望あふれる時になることが「真実であり、信頼できます」と記されています(黙示録22:6)。
黙示録は怖い印象を持つ部分もありますが、キリストを信じる者にとっては非常に大きな希望と慰めです。それは、キリスト者がどのような暗闇や苦難の最中にあっても、救い主キリストの存在は変わることがなく、新天新地が必ず来ると約束されているからです。その片鱗は、今回の箇所の最後にも表れています。主人であるイエス様ご自身が、私たちを食卓に着かせ、そばに来て食べさせてくださる。一緒にいて、労い、慰めてくださる。私たちは、このような救い主が再び来られることを待ち望みたいのです。
今年のアドベント、待つ目的を再確認し、心の焦点を神様に向けて、目を覚ましていることができますように。また、周囲の人々が神様に目を向けることができるよう、とりなし祈る季節となりますように。






