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自分らしさと自由

更新日:2023年10月26日


ショートメッセージ#27 執筆担当:前田柚帆(北海道地区GA)



「兄弟たち、あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。」

ガラテヤ人への手紙5章13節(新改訳2017)


はじめまして、前田柚帆(まえだゆうほ)といいます。2021年に大学を卒業し、動物看護師として動物病院で働いていました。主の導きにより、今年の4月から北海道地区GAとして奉仕させていただいています。

冒頭のみことばは、私がGAに導かれるにあたって、語られた箇所のひとつです。私は、大学1 年生の時に初めて聖書の神さまを知り、信仰を持ちました。クリスチャンとしての歩みを始めてから今日まで、主は私の内側にある「不自由」を取り扱ってくださいました。

私たちは、主から離れた途端に、「不自由」な存在です。主とともにいることが自然で、本来は主と愛し合う存在として造られたからです。皆さんは、今「自由」でしょうか。自分の内側に、「不自由」な部分はあるでしょうか。


私の内にあった「不自由」は、神さまを知らないままで、どうにかして自分らしい人生を歩もうとした結果、纏わりついたものでした。自分が持つ罪の性質、また周りからの罪の影響がある中で生きてきた、”私”が考える”私らしさ”は、実は非常に「不自由」な私だったのです。

しかし、主との関係を回復する中で、意識的にも無意識的にも蓋をしてきた本来の私の性質 は、深く探られていきました。「私はこういう人間だ」という固定観念が覆されそうになる時、初めは認めたくありませんでした。しかしその探る手が、愛と憐れみに富んだ主の御手であったために、私の頑なな心は開かれていきました。造り主である、”主がお造りになった通りの私”の方 が、断然「自由」であることに気付かされていったのです。開かれた心は耕され、より豊かなものにされていることを、安心感とともに受け取っています。


私が「自分らしい」と思い込んでいたものの根底には、多くの場合、恐れが伴っていました。それゆえに、その自分らしさは、実は「自由さ」を奪っていったのです。


「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れる者は、愛において全き者となっていないのです。」ヨハネの手紙第一4章18節(新改訳2017)

主は、私たちが愛を見失い、恐れ、不自由になっていく姿をご覧になっておられます。そして、自由を得させるために、イエスキリストを遣わしてくださったのです(ガラテヤ人への手紙5:1)。 そして私たちは、私たちの全ての根底に恐れではなく主からの愛を纏って、主のもとで自由にされることへ、召されているのです。


その招きに共に応答しましょう。主は、私たちの砕かれた霊、打たれ、砕かれた心を、蔑むことはありません!(詩篇51:17)

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