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神のことばによって形作られるー霊的形成における「みことば」の力ー


良書紹介#14 執筆担当:井上暁希(中四国地区GA)


【M・ロバート・マルホーランドJr著 中村佐知訳 『神のことばによって形作られるー霊的形成における「みことば」の力ー』地引網出版、2023年】



こんにちは!

今年3月に関東地区を卒業し、4月から中四国地区のGAになりました。井上暁希と言います。よろしくお願いいたします。


「あなたはどのように聖書を読んでいますか?」そんな問いかけから始まる本書は、聖書を情報(Information)だけで読むのではなく、神の似姿へと私たちを形成(Formation)していく、霊的形成(Spiritual Information)へと導く聖書の読み方を提示してくれます。


霊性(Spirituality)と聞くと、何か体験的で、劇的な変化や方法を思い浮かべ、少し警戒してしまうかもしれません。しかし、著者は霊性とはキリストのかたちに形成される人生の歩みそのものであると教えます。


「霊的形成とは、瞬間的な体験ではありません。ときには瞬時に何かがなされることもあるかもしれませんが、本来はそういうものではありません。それはキリストのかたちへと成長していく、生涯続くプロセスです。霊的形成の『徐々に変化する』という側面は、即時の満足を求める私たちの文化に逆行します。」(第三章『霊的形成の本質』29頁)。


この本の内容や、著者の全ての解釈に賛同するわけではありませんが、情報中心と形成中心という対照的な聖書へのアプローチを、実は私たちが日々混同してしまっているという指摘や、違いについての説明に目が開かれる思いでした。

情報中心の読み方とは、早く、分量を読む、直線的に読む、分析的、批評的、合理的、知性的に読む、テキストを支配し、安全な部分だけを読む(自分を揺らし、心を開こうとする語りかけを無視する、気付こうとしない)というアプローチです。


一方で、形成中心の読み方とは、ゆっくり、戻ったり、立ち止まったり、み言葉の中で深さを求め、自分の洞察や目的に合わせてみことばに向かうのではなく、純粋にみことばに心を開き、受け取ろうとする。自分が聖書を読む主人ではなく、しもべになるつもりで、神の言葉を待つといったアプローチです。


決して、情報的な読み方が間違っていて、形成的な読み方が良いというわけではなく、いつの間にどちらかの読み方に偏っていないかを気づかせてくれます。


KGKの文脈で言うならば、私たちは聖研をする時に、どのようなアプローチ(情報と形成)で聖書を読んでいるかということでしょうか。KGKの聖研では多くの場合、①観察、②解釈、③適用という3つの手順に沿うことが多いでしょう。その中で、情報的読み方に比重を置く場合、①と②に時間をかけ、③はサクッと加えて終わる場合が多いでしょう。逆に、形成的読み方に比重を置く場合、①と②はサクッと終えて、③を分かち合うことに多くの時間を費やすかもしれません(②は時に情報と形成両方に影響します)。これらは聖研だけではなく、日々のディボーションのあり方、メッセージの聞き方にもつながるでしょう。

 

 改めて、情報中心と形成中心という読み方はどちらも必要なみことばへの向き合い方だと著者は伝えてくれます。大事なことは私は今どのような読み方を自然に身につけているのだろうか、偏っていないだろうかと問い続けることです。KGKにいれば聖書を開き、みことばを読み、聞き、思い巡らす機会は常にあるでしょう。その時、私はどのように神の言葉である聖書を理解し、み言葉に向き合っているかについて自覚的であることは、信仰生活を歩んでいく上で大きな助けになると思います。

 霊性とみ言葉といったテーマに関心のある人や、聖書を読んでも何も感じない、日々の糧になるって何だろう?と思い悩んでいる人にはぜひおすすめです。少し、専門的な部分もあるので主事や、GA、友達と読者会をして読み合うのもおすすめです!



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