待てない私達のアドベント
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ショートメッセージ#121 執筆担当:杉山琴映(事務宣教局主事)
イエス様の誕生の次第を綴ったルカの福音書1章には、なんだか親近感の湧く人物が登場します。イエス様の親戚であり、洗礼者ヨハネの父である祭司ザカリヤです。彼は、神の前に正しく、聖い歩みをしている人でした。しかし、そんなザカリヤも不意打ちには敵わなかったようです。祭司の務めをしている最中、神殿の中に突如御使いが現れました。そして、御使いを通して自分たち夫婦に念願の子供が与えられることを知らされた彼は、直後に口がきけなくなってしまいます。その理由こそが親近感の湧くポイントです。「その時が来れば実現する私(御使い)のことばを、あなた(ザカリヤ)が信じなかったから」…なんと、現代の私達にもわかりみの深い出来事でしょうか!
ザカリヤは御使いを前に取り乱し、御告げの内容そっちのけで恐怖に襲われてしまいました。加えて、祈っても子供が与えられずにこれまで何度もがっかりしてきた経験が、御使いの素晴らしい知らせを簡単に受け入れまいと、信じることを阻んだかもしれません。私達もまた、目の前の状況に不安をおぼえたり、経験則を信頼したくなったりして、神様からの応えや約束の実現を待てなかったことが、あるのではないでしょうか。
例えば、人間関係で悩んだ時。祈っていても、みことばより目の前の状況が大きく立ちはだかるように感じて一人でメソメソ泣いた経験は、私にも心当たりがあります。あるいは、人生の意味に思いを馳せる時。再び来られるイエス様の約束よりも、世の中的にわかりやすいキャリアやプライベートの充実を、知らず知らずのうちに求めている自分に気づかされます。どちらも、神様の約束を待つことができず、時に自分の経験則で空回りしてしまう私達の姿です。
さて、口のきけなくなったザカリヤは、この後どうなったのでしょう。彼は、子供が生まれるまで10か月以上、喋ることができませんでした。祭司の仕事や近所付合い、生活の隅々まで支障をきたし、人の助けを借りる日々を過ごしたことでしょう。不自由さにやきもきし「面倒臭い…」と思ったかもしれません。でも同時に、あの日神殿で御使いから聞いた御告げの内容も、忘れられなかったはずです。彼はきっと10か月の間、あの御告げを何度も反芻することになったと思います。あの日、御使いから聞いたわが子に関する素晴らしい知らせ。そして昔から教えられてきたメシアの預言も。いかに自分自身に向けられた希望の約束であったか、思い知る期間を過ごしたのではないかと想像します。そしてついにヨハネが誕生した後、ザカリヤの口が開かれました。恐怖でいっぱいになって御使いの言葉を疑ったかつての彼は、もうそこにはいません。聖霊に満たされて、近所の人も驚くほど大胆に神様をほめたたえました。「主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。」彼は、自分たちのための神様の約束がそこにあったことに、気が付いたのです。約束を待てなかったザカリヤは、口のきけない10ヶ月を通して、主を待ち望むことの幸いを知る者とされました。イザヤ書30章が思い起こされます。
イスラエルの聖なる方、神である主は/こう言われた。/「立ち返って落ち着いていれば、/あなたがたは救われ、/静かにして信頼すれば、/あなたがたは力を得る。」/しかし、あなたがたはこれを望まなかった。/あなたがたは言った。/「いや、私たちは馬で逃げよう」と。(イザヤ書30:15-16a)
神様は、せっかちで約束を信頼しきれない私達の姿を、もうとっくにご存知です。そして驚くべきことに、そんな私達を“神様の側が”待っていてくださると言うのです。続きの節にはこうあります。
それゆえ主は、/あなたがたに恵みを与えようとして待ち、/それゆえ、あわれみを与えようとして立ち上がられる。/主が義の神であるからだ。/幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。(イザヤ書30:18)
私達が神様を待ち望める理由があるとすれば、それは個人の忍耐力ではありません。義なる神様が、確かな約束をもって待っていてくださるからです。ザカリヤが口のきけない期間に御告げを深く受け止めることができたように、神様はみことばを通して今日も私達に希望の約束を示し続けてくださいます。待てない自分の姿を思い知るときこそ、待っていてくださる神様に出会うチャンスかもしれません。
「疑り深い私達を待っていてくださる神様、希望の約束が私に向けられたものであることを今日、教えてください。」アドベントの季節、そんな風に祈りたいと思います。
杉山琴映(事務宣教局主事)杉山琴映(事務宣教局主事)杉山琴映(事務宣教局主事)






