ショートメッセージ#19 執筆担当:吉田光(中四国地区担当主事)
二人は口づけし、抱き合って泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。
サムエル記第一20章41節
「自分、友達いないんです。」そんな言葉を聞く機会が増えた気がします。友達とは何なのでしょう。シェイクスピアは「人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、悲しみを和らげられる」と語り、ジャイアンは「困っている時に助けてあげるのが友達だ」と語りました。友情って何なのか。自分には本当の友達はいるのだろうか。
誰もが考えることではないでしょうか。
大男ゴリヤテを倒し一躍イスラエルのヒーローとなったダビデは、サウル王に妬みを買われ執拗に追われます。ダビデはサウルの息子ヨナタンに相談します。
「なあヨナタン。このままサウル王の近くにいれば殺されてしまうかもしれない。君のお父さんが本気でぼくを殺そうとしているのかどうか確かめてほしい。」
本当ならヨナタンがダビデを恨んでもおかしくありません。しかしヨナタンは決して彼を妬みません。むしろダビデこそ、神によって立てられた次の王であると受け止めていたのです。神がダビデを祝福していること、またダビデも神を信頼していること知っていたからです。ヨナタンはダビデが恐怖の中にいること、ダビデの身が危ないことに心を痛めました。その後、サウル王の確かな殺意を悟ったヨナタンは、そのことをダビデに告げます。これが二人の地上での最後の別れとなるのです。
真の友情は、楽しいことを一緒にするだけでは生まれません。真の友情は、苦しみ、悲しみ、それらの感情が分かち合われる交わりの内に育まれていくものです。
サウルの殺意に翻弄される苦難の日々。それはダビデの人生における最大の試練の一つでした。そのようなダビデに寄り添い、彼の苦難をともに分け合ったのがヨナタンでした。
聖書はキリストの味わわれた苦しみを私たちに伝えます。
それぞれの十字架を負って着いてきなさいとキリストが招かれるのは、ご自身の苦しみを私たちと分け合いたいと願われるがゆえです。また私たちも、自分の苦しみ、悲しみ、それらすべてを友となられたキリストに、神の御前に打ち明けることができます。
そのようなキリストと結ばれている私たちの交わりの内に、ダビデとヨナタンのように苦難を分け合う真の友情が育まれていくことができますように。
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