陶器師の御手の中で
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証し#135 執筆担当:鈴木俊見(中四国地区責任主事)
2014年から12年間、中四国地区でKGK主事として主に仕えてきました。振り返って感謝だったと思うのは、主事の働きが思っていたよりも何倍も楽しかった、ということです。そして、主事やってよかったなと思わされています。その一番大きな理由は、自分が福音の豊かさを知ることによって、主にある自由を経験させられ、変えられていったからです。言い換えると、自分の信仰の根本的なところが、恵みによる信仰に変えられた、と言い換えることもできます。
主事になった当初、私は「主事とはこうあるべき」「学生はこうあらねばならない」という、自分の型にはめて物事を考えるようなところがありました。ですから、それと外れている自分に気がつくと落ち込み、当てはまらない学生がいると苛立ち、心の中でさばいていたように思います。そんな姿勢だったので、学生との関係もうまくいきませんでした。最初は、それを自分が学生時代を過ごした関東地区と中四国地区の違いのせいだと考えてみたり、自分と学生の世代の違いだと考えてみたり、しばらく学生との関わりから離れていたせいだと考えてみたりもしました。ある時、学生から「としさんに相談しにくい、話しづらい」という声が上がっていることを聞き、もうやっていけないと思わされたこともありました。
しかし、ある頃から、次第に自分の福音理解に変化があることに気がつくようになりました。自分の信仰の姿勢が義務的なものから主体的な喜びに、「こうあるべき」という姿勢から「こうありたい」という姿勢に変わってきていることに気がついたのです。「主に喜ばれる」という考え方よりも「主を喜ぶこと」を教えられていきました。学生たちも私の「主事とはこうあるべき」という間違った殻を破ってくれ、自分が主に形造られた自分として主に応答していくことを覚えさせられました。それは、形に縛られていた自分が福音によって自由になっていく経験でした。
振り返ってみると、私が献身に導かれた時に与えられたみことばが、主事生活の12年間の中でも成就されていったのだと思います。それは、イザヤ書64章8節のみことばです。
しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。
私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。
私たちはみな、あなたの御手のわざです。
何者でもない自分が、主によって形造られ、陶器師である主の御手の中で、主の良いと思われるように造り変えて欲しい、造り変えられていきたい、ということでした。この主の御手に身を委ねつつ、これからも主の良いと思うように私を造り変えていただきたいと願います。


