教会における信仰継承について・その15
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- 6 日前
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総主事コラム#128 執筆担当:吉澤慎也(総主事)
今回から、教会で育っていく青年たちにキリスト教教理を教えることの大切さについて考えてみたい。
KGKでは、NETと呼ばれる全国的な学生訓練会を開催している。約1週間にわたる、非常に長い合宿形式の訓練会だ。内容の濃い学びが提供されるため、参加のハードルは決して低くない。それでも多くの学生たちから支持されている人気企画で、キャンセル待ちが出ることも多い。
このNETに参加する学生は、まず全員が「救いの全体像」を学ぶ。言ってみれば、これはキリスト教教理を体系的に学ぶ時間である。教理を全体として学ぶことで、それまで教会などで教えられてきた断片的な知識が整理され、つながっていく。そうして、もやもやと抱えてきた疑問に明快な答えが与えられ、喜びと感動を覚える学生の姿を、私はしばしば目にしてきた。
そんな「目から鱗」の体験は、福音とは何であり、福音が自分に何をもたらしたのかを再確認する機会にもなる。そして彼らの信仰の歩みが、ときには飛躍的に成熟へ向かう一歩になっている。こうした現実を見るとき、青年たちが教理を理解することは、非常に有益だと感じる。
そもそも、青年たちの中には「知りたい」「学んでみたい」という思いがそれなりにあり、実際に「教えてほしい」という声がある。そう思うきっかけはさまざまだ。たとえば「救いの確信がない」「自分がクリスチャンかどうか分からない」と悩んでいる(そして、そのことを誰にも相談できずにいる)青年たちは、決して少なくない。彼らが教理を理解することで、信仰の歩みが確かにされていくのだとしたら、それは喜ばしいことではないだろうか。
あるいは、未信者の友人と関わる中で、学ぶ必要を感じる青年たちもいる。「教会で何しているの?」「なんでクリスチャンになったの?」という直球の質問に対して、「あまり上手く答えられなかった…」という経験を、案外多くのクリスチャンホーム出身の青年たちは持っているものだ。これは「実は自分でもよく分かっていないのかもしれない」という気づきにつながる大切な経験であり、そこから「もっと学びたい」というモチベーションに発展していくことも多い。
そのような声に丁寧に応えつつ、必要な教理の学びを届けられたらよいと思う。






