証し#44 執筆担当:高治礼(関西地区運営委員長)
子供の頃から、のび太が好きでした。他人の気持ちを推し量るのが苦手な私は人間関係が中々うまくいかず、何をしてもダメなのび太に親近感を覚えていました。ドラえもんを全巻揃え、一時期はマンガ家を目指すほどでした。
そんな私も中学・高校と上がるにつれ、自分のダメなところを意識的に捨てることを覚えました。ぐうたらをやめて勉強し、人気者の真似をして友達も増えました。大学も第一志望に受かり、自分は出木杉君になれたと思いました。入学と同時にコロナ禍が始まり、主事をしている知人の紹介でKGKに関わるようになると(他にやることもなかったので…)、2回生で学内リーダー、3回生でブロック実行委員、3回の夏には運営委員の奉仕依頼が次々と降ってきました。基本的に奉仕は断りたくなかったし、特に負担にも感じなかったので全て引き受けていましたが、「自分に与えられている賜物があればこのくらい余裕だ」と高ぶる気持ちもありました。
しかし自分ではどうすることもできない問題を前に、へり下って祈ることしか出来なくなったとき、神様はいつも思いがけない方法で解決に導いてくださいました。少しずつ自分は神様というドラえもんがいないと何もできない「のび太」であることに気づかされました。神様に頼ることすら自分の力では出来ない私に、神様は「しょうがないなあ」と御言葉や祈ってくれる友を与えてくださる。何という恵であり、平安であり、自由だろうか。
神様がくれたこの自由で、神様の栄光を表す生活がしたい。そんな想いから生まれたのが、関西地区の2023年度年間テーマ「あなたの自由何のため?神か。それ以外か」です。私を含めた関西地区の学生一人一人が神様から与えられている自由と喜びに気づき、それを生活の中で証していけるように覚えてお祈りいただければ幸いです。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」第一コリント10:31
(以下は余談です。読み飛ばして構いません)
のび太は何をしてもダメなやつですが、ただそれだけのキャラとして描かれているわけではありません。「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ」「きみはこれから何度もつまずく。でもそのたびに立ち直る強さももってるんだよ」
どちらものび太に向けられた言葉です。彼は「喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣く者」であり、「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」を体現しています。私は神様がいないと何もできないのび太であると同時に、そんな彼の生き方を見習う者になりたいので、この記事の裏テーマは「僕、のび太(になりたい)」ということになります。
ここまで読んでくださったお暇な方。ありがとうございます。ドラえもんならいつでも貸します。