「沖縄」って別にキラキラしていないのでは!?!?
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- 6 日前
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証し#127 執筆担当:吉田七海(沖縄地区・琉球大学3年)
2025年はどんな一年だったかなと振り返る。
私個人としては、大学三年生になりこれっぽっちも考えたくもない将来について向き合わされ、目標と同時に弱音も吐きながら、神様に祈った一年だったなと思う。
そんな一年を無事に乗り越えられたのは、神様、家族や友人、教会の方々、KGKのみんな、そして実家の猫のおかげである。
2025年の沖縄地区KGKも恵み豊かな一年だった。
3月はNCに沖縄地区の学生6人が参加(パパイヤじゃんけんを披露)、4月は新入生歓迎会(ハイプ大盛り上がり)、8月は今帰仁村で開催されたゆんたくキャンプ(ゆるゆるおしゃべり夏期学校)などのイベントが行われ、他地区学生との交流や沖縄地区の良さが存分に発揮できる機会に恵まれた。
毎週の活動では、週ごとに場所を変え、内容を変え、なんだかんだ真面目に活動しているのである。
そんな沖縄地区の活動で私が特に印象に残っているのは、今帰仁村にある北山荘で行われた11月の「平和キャンプ」だ。
2025年は戦後80年の年だった。
沖縄県内では戦争に関する様々な講演会や映画、舞台が行われ、改めて「戦争」に意識を向ける機会となった。
沖縄は、第二次世界大戦で民間人を巻き込んだ地上戦、「沖縄戦」という歴史を持ち、終戦後も、沖縄戦で受けた傷は沖縄の人々を苦しめている。
私自身も講演会や舞台に足を運び、沖縄に住んでいながら知らなかったことが多くあることに気づいた。
私は今まで沖縄の伝統文化になじみがなく、沖縄戦に対しても沖縄の人ほどの共感はできなかった。
沖縄戦や、終戦後の苦しみ、どれも「授業で聞いた」だけだった。
戦争がいけないことだって知ってはいる。でもそれが「誰かから聞いた話」の域を超えず、いつしかテンプレートのように「戦争」を捉えてしまっていた。
戦争が他人事のように感じるくらい今の日本が平和であることに感謝しなければならないと思うし、そんな平和をこれからも守るためにも積極的に戦争について話してみたい、と思っていた。そんな中で行われた「平和キャンプ」だった。
キャンプでは、戦後80年を迎える沖縄で、聖書を通して語られる平和について学び、みんなで考えた。
そこでこんな御言葉が与えられた。
「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がしてはなりません。ひるんではなりません。」ヨハネの福音書14章27節
聖霊なる神が私たちと共にいる平安を、イエス様は約束している。
それをただ信じ、祈り、武器ではなく言葉を持って平和に向かう世界なんて、果たして実現するのだろうか。さすがに理想論すぎやしないか。でもこの言葉には妙な説得力がある。聖書の言葉はいつもそうだ。信じてみたいという希望を感じてしまう。
世界のどこかで今も戦争の中にいる人、肉体的・精神的な後遺症が残る人、人種も宗教も年齢も関係なく全員に神様の平安が与えられるのだとしたら、どんなに喜ばしいことだろう。
改めて、私が沖縄という地にいる意味を考える。
神様によって遣わされた、という自覚はまだない。
神様から与えられた使命を果たす責任もいまは感じていない。
でも、ただ隣にいる人にこの感動を伝えてみたくなった。
私と同じように心のどこかで他人事だと感じている人に、平和のために武器を握りしめている人に、不安や恐れの中でも揺るがない「平和」の存在を知ってほしくなった。
観光地「沖縄」はみんなが思っているほどキラキラしていない。
癒えていない傷がある。
そう簡単に治らないと思っている。
それでも私は、神様がいる希望を伝えたいし、不安の中でも祈る人になりたい。
神様が私を沖縄に置いて、沖縄という地を通して知った戦争や平和の尊さを、私だけで留めておくのはあまりにもったいないと感じるのだ。
いつか世界は互いを傷つけあうことをやめる。
いつか武器を置いて、対話を始める。
いつか神様を中心に祈り合う仲間の輪が、地球を一周する。
私もその平和の一員であることを自覚しながら、神様の招きに応えてみたい。






