愛することはできないが、
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証し#136 執筆担当:戸澤元宏(関東地区担当主事)
「神と人とを愛することができますように」
学生時代の私の祈りです。神を愛し、人を愛する生き方を、実践しているように見える信仰の先輩たちが、カッコ良くて、何より、その生き方を全うしたイエス様に憧れを抱いて、「僕もあんな風に生きたい」と思いました。そんな思いから湧いてきた祈りでした。
ただ、それは同時に「神と人とを愛せない自分」からの逃避だったのかもしれません。自分の本性がどこまでいっても自己中心であることに薄々気づきながら、「神と人を愛そうとする自分」で、自己中心な姿を誤魔化していた気もします。
イエス様の元に駆け寄った1人の人の姿が自分と重なります。
「イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。『良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。』…イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。『あなたに欠けていることが一つあります。…。』すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。」
マルコの福音書 10章17節/21〜22節抜粋(新改訳2017)
幼い頃から律法を守ってきたものの、どこか不安なこの一人の人のように、「神と人とを愛します」、そう固く決意して、いくら頑張っても、ソワソワすることが、主事生活でよくありました。学生の前で気丈に振る舞う自分の裏に、自信のない自分が見え隠れしているようでした。そんな自信のない、カッコ悪い自分を、認めきれない頑なさもありました。まさに「顔を曇らせ、悲しみながら立ち去」りたくなることが度々ありました。
しかし、主は私にも「いつくしみ」の眼差しを注いでくださる方で、そんな私の面倒な絡まった心にも寄り添ってくださいました。そして私が知ったのは、「私は神と人とを愛することができないが、神にはどんなことでもできるので、私は神と人とを愛することができる」ということでした。
「イエスは彼らをじっと見て言われた。『それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。』」
マルコの福音書 10章27節(新改訳2017)
3年間の皆様との交わりと、そこにあった温かな主の眼差しに心より感謝します。これからも学生宣教を通して、一人でも多くの学生が、この主の眼差しに触れられますように。


