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ディボーション-神様とクワを持って-

  • 執筆者の写真: KGK公式ブログ
    KGK公式ブログ
  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

証し#151 執筆担当:金田太助(九州地区GA)


私は、自分の心を神様に分かち合うのが好きではありませんでした。

だから、ディボーションも好きではありませんでした。


私が小学生の頃から、牧師である母は、「今日は聖書読んだ?」とか、「今日も神様はあなたと話したいと思っているんだよ」と、日々聖書を開くことを勧めてきていました。でも私はそうやって神様と親しくしたいとは思いませんでした。私は自分の心を他者に分かち合うことが苦手だったので、“既に私の心の良い部分も、悪い部分も知っておられる神“、という存在を受け入れることができなかったのです。「神様、僕の心は見ないでください」と、無理だとわかっていても、それだけはわざわざ毎日祈るくらいに。心の内側を見られていることに不快感を覚え、心を固く閉ざしていたのです。


でも、私が中学2年生の頃に、熊本地震で被災した時、私と神様との関係に変化が訪れました。2度の大きな揺れと、延々と続く余震による不安と恐怖に駆られ、私はすがるように毎日聖書を読みだしました。あまり使って来なかったディボーションテキストを使いながら、少しずつ、少しずつ、行き場のない感情を神様の前に注ぎ出していきました。そして、徐々に日常が回復していってからも、気づいたら神様と私の二人の時間は自然に習慣として残っていったのです。


そんな生活が半年くらい続いたある日曜日。いつも通りすぎて、特になにも期待していなかった、礼拝の時間。ぼーっとメッセージを聞いていたその時。突然、神様の愛が、私の心に迫ってきました。「そのままの君でいい。君の心の良いところも、悪いところも、全部含めて、君のことを愛しているんだ。だから安心して、君のそのままを私に見せてほしいんだ」と。何故だかわからないけれど、涙が溢れてきました。ここまでみことばによって心が揺り動かされるのは初めてでした。私はその時初めて、本当の意味で神様の愛に触れ、「この方の前に自分の心を見せたい」とその愛に飛び込んだのです。


ずっと神様の前に鎖まみれだった自分の心の扉が、一瞬のうちに、扉ごと消し飛んでしまうような、そんな感覚でした。あるきっかけから、毎日聖書を読む時間を持つようになり、その中で私の心の土地は耕され、神様のみことばを、愛を、まっすぐ受け取るために心が整えられていったのだと思います。


今の私にとって、毎日のディボーションは、神様と一緒に心の土地のお手入れをする時間。一緒に軍手をして、いばらを引っこ抜き、クワを持って耕し、肥料をまく時間。そうやって、心に良い地を整えていく時間です。


今日も私は神様とクワをもって、楽しくディボーションをしています。

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