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弱い者を助けるということ


証#84 執筆担当:金沢実優(東海地区KGK運営委員長・南山大学4年)


このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与える方が幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。(使徒の働き20章35節、新改訳2017)

 

今回は私が最近与えられた御言葉について、分かち合いたいと思います。


私は大学4年生です。就職先を決めるにあたって、神さまがこの使徒20:35を通して私を導いて下さいました。この御言葉を読んだ時、とても実践しにくい御言葉だと思いました。なぜなら、自分が弱い者であるという意識が強く、こんな私に何ができるというのかと思ってしまったからです。しかし、この御言葉が心に留まり、なぜ弱い私にこの御言葉があたえられるのか、と思い巡らせていました。

 

そんな時、ある日のデボーションを通して、「私が自分のことをどのように思っていたとしても、神さまは“今の私”にこの御言葉を与えられたのだ」と気づかされました。私は弱い人間です。社会的にも信仰的にも、弱くて、脆くて、自分のことが嫌になってしまう程です。でも主はそんな私に、弱い者を助けなさいと言うのです。それは、とても非現実的で無理難題だと思ってしまう自分でさえも、誰かを助けることができるんだという、神さまからの励ましだと教えられました。

 

振り返ってみると、今までの私の生活はいろんな人に支えられて、今も助けられて生きています。KGKでの交わりの中でも、仲間に祈られ支えられてきました。そのため、これまでは一人では生きていけない自分にばかり目が留まっていました。しかし、デボーションを通して、支えてくれた人たちに対して同じように自分も支えたい、お返しがしたいと言う思いがあることに気がつかされました。さらにこの御言葉から、私を助けてくれた人達も、主から受けた愛への応答としての“弱い者を助ける”という実践であり、主が私に求めておられる事も同様に、受けた愛を周りの人へ繋げていくことなんだと思いました。自分一人では弱くて、誰かに支えられてきたという経験は、誰かを助けることに繋がっていくのだと学びました。

 

だから私は立ち上がります。自分自身はどんなに脆くても、主がともにおられるから。自分が愛されてきたように、周りの人を愛していくことができる者へと変えられていきたいです。いつか、ピレモンへの手紙において、主人に対して負債のある奴隷オネシモの負債を全て肩代わりしたパウロのように、進んで犠牲を払うことのできる者へと変えられていきたいです。そのような思いから、私は飢餓に苦しむ子供達のための働きへと導かれて今就職予定の仕事場へと導かれました。しかしまずは、残り少ない学生生活の中で、大切なKGKの仲間たちのために祈り続けること。今の私にできることから始めていきます。

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