学び#1 執筆担当:山口翔(東海地区担当主事)
皆さんは「宣教(Mission)」と聞くと、どんなことをイメージしますか?
伝道する、宣教師になる、出て行って伝える、マタイ28章の大宣教命令…
などなど、「Doing」のことをイメージすることが多いのではないでしょうか?
では、宣教を私たち人間の使命として、つまり「Being」のこととして受け取ることはあるでしょうか?
宣教とは創造の初めから、私たち人間の与えられた使命なのです。
今、宣教が語られるときに、その理由の多くが「あの友達はまだ福音を知らないから」「まだ世界中に福音を知らない人々がいるから」というような語られ方をすると思います。もちろん本当にその通りです。だからこそ、私たち出て行く必要があるのです。
しかし、これはある見方をすれば必要があるから宣教をする。つまり、必要がなければ宣教はいらない。というような捉え方になる可能性があります。それは、人間の必要があるから宣教が必要であるという、人間中心の考え方になってしまうかもしれません。
しかし、聖書は創造の初めから宣教という使命が私たち人間に与えられていることを教えています。
そもそも宣教とは、神様の使命を、私たち人間が自分たちの使命として果たしていくことです。その神様の使命とは、「神様の支配が地の果てにまで広がっていく」ことです。
神様は、その使命を果たすために、私たち人間を用いています。その命令が文化命令として創世記に書かれています。
「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
創世記1:28(新改訳2017)
これは、神様が私たち人間に与えられた一番最初の命令です。その意味は、私たちが神様の王位を代表する代表者として、地の果てにまで満ちていくということです。代表者である私たちがそこに存在するとき、神様の王位がそこに現され、神の王国が広がっていくのです。
それは、例えるならブランドのロゴのようです。Apple製品にリンゴのロゴが必ず付いているのは、その製品がApple社のものであることを宣言するためです。
私たちは、唯一の創造主であり、王である神様の生きるロゴです。クリスチャンである私たちが、地の果てにまで増え広がり、満ちるとき、神様の王位が満ち、神の王国が増え広がるのです。
学校で学内活動をする。毎月の祈祷会をする。春期学校・夏期学校をする。授業で学ぶ。バイトする。就職して働く。それらはニーズがあってしている作業のようなものではなく、使命を果たしているのであり、まさに私たちの生き方そのものなのです。
では、文化命令通り、単に人が地上に増え広がれば良いのか?と言えば、そうではありません。
旧約時代と新約時代では、もっと言うと創世記3章以前と以降、イエス様の誕生以降とでは、その手段が変わっているのです。
その原因は?その手段は?それは、また次回以降一緒に見ていきたいと思います。