ショートメッセージ#20 執筆担当:小野田良恵(関西地区担当主事)
今年度私が担当している、大阪、奈良、和歌山の学生たちが集う阪奈和(はんなわ)ブロック祈祷会では、「今日はどの実を結んじゃう?」をテーマに、ガラテヤ人への手紙6章22~23節から、御霊の実について学んで来ました。その中で、皆さんに「自制」について分かち合いたいと思います。
このガラテヤ人への手紙は、福音を伝えるために働いていたパウロから、ガラテヤにいる兄弟たちのために書かれました。パウロが手紙を書いた理由は、あるピンチにガラテヤの兄弟たちが陥っていたからでした。そのピンチとは、罪人である私たち人間が、神様に受け入れられるために必要なことが、私たちの行いや、割礼を受けているユダヤ人のように生活することが福音だという考えによって、ユダヤ人ではない兄弟たちと、ユダヤ人の兄弟たちとの間に分裂が起こり始めていたというピンチでした。そして、このことに関して、パウロは繰り返し、「イエス・キリストを信じることによって救われる」という真理を、この手紙を通して何度も伝えています。
この1年間を通して学んだ御霊の実についての理解の中で、物凄く大切なことは、『御霊の実は私たちの力や努力によって結ばれるものではなく、ガラテヤ人への手紙4:6にもあるように、神が「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、わたしたちの心に遣わしてくださった、イエス・キリストを信じた私たちの心にすでに遣わされている御霊によって、結ばれるものである』ということでした。
しかし、「自制」は、自分の力によって結ばれるものではないと理解するのは、難しいテーマではないでしょうか。自制の意味は、英語で訳すとセルフ・コントロールであり、まさに、自分自身を管理し、調整することであって、『自制するのは他の誰でもない自分』という感じになってしまうからです。祈祷会の中で、自制についてみんなで考える中で、「自制」とは、「ある目的やゴールのために、自分を制限すること」であり、自分を制限することの中に、神に委ねることや、自分の欲望、感情、誘惑との向き合い方について知恵が必要だということがあるということが分かってきました。では、私たちが自制する目的はなんでしょうか?
ガラテヤ人への手紙6:23は、どの御霊の実に対しても、反対する律法はないと答えます。つまり、私たちが自制する時、その目的・ゴールは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされる、律法全体に反対しないもの、つまり、あなたの隣人を自分自身のように愛するためであるということが分かります。私たちが愛するために自制する時、私たちに愛することを教え、実を結ばせてくださる聖霊の力が共にあることを知ります。愛する力を与える御霊によって、私たちは、さあ…「今日はどの実を結んじゃう?」