証し#48 執筆担当:後藤直生(全国協議員会書記、東海地区・名古屋大学3年)
全国協議委員会(以下、全協)の奉仕は、一言で表すと「祈りの奉仕」だと私は思います。全協は、他地区のこと、IFESの他ムーブメントのこと、日本の社会的責任のことを知り、祈りに覚えることを大切にしています。そして、その祈りを自地区に還元して、全国に祈りの輪を広げていく役割を担っています。しかし、全協として奉仕する中で、実際に他地区や海外を訪れることはなかなか難しく、「祈ることしかできない」ともどかしさを感じることもありました。いつしか祈りをやめてしまったり、自分のことすら祈れなくなったりもしました。
そんな中、ただ私が祈っているだけでなく、祈られているということに気づかされていきました。祈りの輪で自地区の投稿した事柄に対して祈ってもらっていること、IFESの交わりの中でKGKも他ムーブメントに祈って支えてもらっていること、KGKが卒業生の祈りによって支えられていることは、大きな励ましでした。祈りが神さまに聞かれて福音が全世界に広がっていっているという、祈りの力の大きさも感じました。また、全協会議の祈り会では、他地区の離れた場所でも、互いに祈りあうことによって、励ましあえる仲間がいることに気づき、祈りの喜びを感じることができました。自分が祈れないときには、仲間が自分のために祈ってくれるのだと安心しました。東海地区内でも、祈りのカレンダーに学内や委員会の祈祷課題だけでなく、IFESや他地区の祈祷課題も挙げて、地区全体で祈っています。また、少人数で近況を分かちあい祈りあう足湯プロジェクトの時間は、私にとって祈りの喜びを再確認できるとても大切な時間です。
そんな祈りあい励ましあえる仲間がいることに感謝を覚え、徐々に、祈ることや全協の奉仕を喜んでできるようになっていきました。「祈ることしかできない」のではなく、「祈ることができる」ということに目が向くようになっていったのです。互いに祈りあい、励ましあっていくことができる信仰の仲間が、自地区にも、離れている他地区にも、海外にもいます。そして何より神さまが祈りを聞いてくださっていて、御国の建設のために働かれています。そのことを覚えつつ、互いに日々祈り励ましあいながら、全世界に福音が広がっていくことに期待していきたいと思います。
わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。
彼らの全焼の捧げものやいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。
なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。
イザヤ書56章7節(新改訳2017)
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