陶器師の手のなかで
- KGK公式ブログ
- 3月27日
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証#95 執筆担当:矢島志朗(研修メンバーケア部長)
「陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。」(エレミヤ18:4、新改訳2017)
3月末をもって、約19年の主事生活を終えます。今までの多くのお祈り、ご支援に心から感謝します。出張も多く変化の多い日々をともに歩み、祈り励ましてくれた妻と子どもたちにも、心から感謝しています。
3月初めに参加したNC(全国集会)は、学生たちと過ごす最後の合宿でした。5日間での一つ一つのメッセージ、分かち合いや聖書研究が印象深く、心に染みました。担当した「異端・カルト」の分科会で聞いた参加者の声を通して、このテーマの深刻さをあらためて実感しました。
同じ会場で6年前に行われたNCでヨハネ21章から、神様の愛に感動して心が震えるようなグループ聖研をしたことも思い出しました。この感覚は、主事生活の最初の6年間、中四国地区を駆け巡って学生たちと聖書を学んだ帰り道、心に湧いていた喜びや燃えるような感覚に通じるものでした。みことば、祈り、交わりにともにあずかる中で神様が私たちを作り替えてくださり、神の国を広げてくださることを実感してきました。
その後の全国担当(事務宣教局・卒業生会・総主事)としての9年間では、関わる人の数、年代や業種がKGK内外で大幅に増えて、KGK運動がなんと多くの方々の祈りと支えによって進められていることかと感動し、福音の豊かさの味わいを一層深く覚えることができました。
中四国地区担当、全国担当それぞれの時代では、自分の限界に直面して行き詰まったり、体調を崩すこともありました。握りしめていたものを手放す経験もありました。しかし多くの助けをいただくありがたさを教えられ、このプロセスの中にも主の深いご計画、ご配慮があったことを思い返します。
冒頭に掲げたみことばは、10年前のある卒業生集会のメッセージで語られたものです。同世代の仲間で深い頷きのうちに、このみことばを分かち合ったことでした。壊される経験を通して、「主が気に入るほかの器」へと少しずつ「作り替え」てきてくださったように思います。
主事生活の最後の3年間は、主に主事会内部の研修メンバーケアを担当しました。そのなかでは同僚の話をじっくりと傾聴し、ともに主の導きを探っていく時間が多くありました。それまでの16年間の経験が最後の3年間に結実していくような、不思議な感覚を覚えました。祈祷会や合宿奉仕での学生、卒業生との交わりも、一つ一つがとても深く、印象深いものでした。
神様に「作り替え」られていく旅は続いていきます。さらに福音の豊かさを教えられて、分かち合っていく旅となっていくと思います。これからは一人の卒業生、牧師として、私も学生宣教のために心から祈り、支えていきたいと思います。