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私にとってKGKはなんであったか、何であり続けているか。


証し#55 執筆担当:横山聡美(九州地区卒業生会運営委員長)



私は九州KGK 卒業生の運営委員をしています。私は学生時代にKGKを経験したことがなく、7年前の合宿を機に、卒業生会に関わることとなりました。しかも、初めから「準備委員」という立ち位置でしたので、特殊な入り方だったと思います。その経緯もあって、「私にとってのKGK 卒業生会」というものは、他の方々とは異なっていると思います。


私が卒業生会の働きの中で「自分に何ができるだろう?何をすべきだろう?」と自分の手の業しか見えなくなると、そういった“私はKGKの学生の時の経験がない”ことが壁となって迫ってきます。事実、未だにそれらの学生時代の会話にはアウェー感ありますし、「何回生?」等の質問に壁を感じる時はあります。しかし、卒業生会の、そこで起きる神様の御業を見る時、また、卒業生の生きた証を聞く時、そういったことは全てどこかへ飛んで行き、皆で一致して共に喜びあい、共に恵みを味わえるのです。


「神様のことを語ったとして、それで人が本当に救われると本気で思ってますか?」「こんなに忙しいのにその上、日曜は教会まで行ってて。聖書なんて読む時間ない」と言っていた卒業生が、神様の取り扱いを受け、徐々に変化していく。成長していく。変えられた本人たちは気づいていないけれど、確実に行いや発する言葉が変化していく。「聖書ってすげーです」「クリスチャンとしてこの状況に対処するには、どう祈ったらいいか。。。」と、会話の中の何気ない一言一言で、目の前の一人一人に確実に働いてくださる神様の御手を感じる時、卒業生会の働きに共に携われることに心から感動し、また、神様への賛美が湧いてくるのです。


よく、「なぜ、あなたは卒業生会の働きをしているのですか?」と聞かれます。特殊なルートでここにいる私は、よく“経緯”を説明します。なぜ、の“理由”はまだ私自身もよく分かっていないのです。今は、運営委員という立場もありますので、卒業生だけでなく、そこで仕えているリーダーたちのこともケアしていきたい、というヴィジョンも与えられています。しかし未だ尚、なぜここにいるのか私にも分かっていません。正直、“ここでなければ”ということも思っていません。ただ、「聖書を共に学び祈り合う」という、このシンプルな集まりの中で、神様が人を豊かに育て導いてくださることを見せてくださる。その場所の一つがKGK であり、卒業生会だと思っています。そして、ここから地域教会が励まされ、日本の、また、全世界の福音の前進につながると信じつつ、目の前の働きとそこにいる卒業生たちと向き合っていきたいと思っています。


「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。 割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。 そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。」 ペテロの手紙第一5章2節-4節(新改訳2017)

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