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神様に慰められて

更新日:6月27日


証し#70 執筆担当:縄谷佳歩(東北地区担当主事)


皆さんは日々、神様とどのように過ごしていますか。これまで神様とどのような交わりがありましたか。


私は春から東北地区で主事をしていますが、この歩みへ踏み出すにあたり神様との交わりを振り返る機会を持ちました。学生生活、教会生活を通して神様が自分の歩みにどのように介入されていたのかを考える時間です。この振り返りは、神様が慰め主であり、励ましを与えてくださる方であることを教えてくれました。人と比較し自分には何もないと嘆いていた中で、自分なりの形で主に仕える経験が与えられてきたこと。神様や友人に本音で向き合うことを恐れる私に、一人で祈る場所が備えられ、ありのままの姿で神様の前に出ることを励まし合う友人が与えられたこと。神様から恵みを受け取り、次第に神様に応答したいと願うようになりました。「何もない」という言葉が「何もない…けど、ささげたい」に変えられた学生生活でした。その中で与えられてきた御言葉があります。


「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」コリント人への手紙第二1章4節(新改訳2017)


私の歩みが詰まっている箇所だと思いました。私の歩みは神様のものであり、自身が受け取ってきたものを、次は学生たちのために用いられたいと願いました。こうして今、主事をしています。


東北地区は青森から新潟まで広い範囲に学生たちが遣わされています。顔を合わせて交わりを持つことが難しい中で、各学内・各県の学生たちの様子を知る度に、学生たちが意味を持って遣わされていることや東北で主の働きが前進していることを感じます。そして、その度に学生が立っている地で一緒に神様のことを知り、祈り、時に葛藤したり嘆いたりしながら、遣わされている地をおぼえる働き人でありたいと思うのです。


…そんな風に意気込んで始まった主事生活ですが、無力な自分と出会ったり、なかなか学生の元へ行けなかったり、励ますどころか、励まされてばかりの日々です。けれども御言葉に立ち返る中で、こんな私を慰め、遣わしてくださる神様に出会っています。この証を綴っている今も、主の哀れみに触れています。主に感謝しながら、いま遣わされている地や交わりに向かって歩むことができるように、お祈りして一日を始めたいと思います。

 

今日も遣わされた地で、皆さんが主と共に歩むことができますように。

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