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神に期待し、神のために企てたい

  • 執筆者の写真: KGK公式ブログ
    KGK公式ブログ
  • 4月17日
  • 読了時間: 3分



証#96 執筆担当:山形宣洋(関東地区副責任主事)

主事8年目を迎えました。学生時代、最初にKGKに参加したとき、もう行きたくない…と思った私が主事に導かれるわけなので、本当に分からない人生です。


主事生活、最初の3年間は常勤としての奉仕でした。主事になるまでは北海道での生活でしたので、人間関係がほとんどない関東で私が受け入れられるためには、「成果を出すしかない」と思い、がむしゃらに働いた3年間でした。5分あればカフェに駆け込み、説教準備に打ち込むといった日々です。


今振り返ると、「遣わされた地で福音に生きる」という理念を掲げながらも、実態としては成果主義に陥っていたように思います。荒削りな3年間でしたが、神様が宣教の実りを見せてくださったこともあり、主事を続けたい思いが与えられました。


その後は神学生として学びつつ、主事としては非常勤での奉仕となりました。「少しでも学生宣教に携わりたい!」そんな思いからの奉仕でしたが、やりきれなかった働きがいくつもあります。特に悔やまれるのは、神学校の授業が夕方から夜にかけてだったため、学内訪問を十分にできなかったことです。一部の学生から、「山形主事は学内に来てくれない!」との不満を聞いたことがありました。申し訳なさと悔しさで、心が何度も締めつけられました。それでも主事を続けられたのは、支えてくれた家族、教会、学生、卒業生、賛助者、同僚の、温かい励ましの言葉と慰めに満ちた祈りがあったからです。


以前、退職した主事から聞いたことがあります。「退職を前によぎるのは、失敗の数々だ。なぜあんなことを言ったのか。なぜ十分に備えなかったのか。どうしようもない自分しか残らないが、そんな自分を忍耐し、労ってくれる神様がいたからここまでやれた。」私も同じ思いです。


この春、神学校を卒業し、4月から常勤に復帰しました。学生宣教の可能性・重要性が益々高まっている昨今、神様に、みなさまに支えていただきながら、改めて私たち主事を、新たな気持ちで学生宣教へと送り出していただきたいのです。

「神に大いなることを期待せよ。神のために大いなることを企てよ。」

インド宣教に命を懸け、サティ(夫の火葬の際に、生きた寡婦を焼身させる儀式)禁止法の制定にも貢献したウィリアム・ケアリの歩みに、かつての山形少年は憧れを抱きました。私は学生宣教というフィールドでケアリと言葉を重ねるように、神に大いなることを期待し、神のために大いなることを企てたいのです。


主事とは、KGKスピリットを継承する「KGK卒業生の代表」であると共に、「学生世界に遣わされた宣教師」でしょう。同労者である学生とともに、神に期待し、神のために企てる一年としたいと願っています。

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