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祈りを覚えておられるお方

  • 執筆者の写真: KGK公式ブログ
    KGK公式ブログ
  • 6月29日
  • 読了時間: 2分

証#105 執筆担当:久多良木結(留学生宣教担当主事・関東地区担当主事)


「なぜ主事になろうと思ったのですか。」


この数ヶ月よく聞かれた問いを改めて考えてみると、「祈りが覚えられていたから」という一つの答えに辿り着きました。


イエス様を自分の救いとし、神様の子とされた私たちは、日々祈ります。大きなことから小さなことまで。祈れる時、祈れない時があります。祈ってもらう時、祈りでとりなす時があります。そして、自分で覚えている祈りと、いつの間にか忘れてしまっている祈りがあります。


高校生の時にささげた、先に救われた者として宣教師になりたいという祈り。大学生の時にした、聖書の学びがしたいという祈り。GAとして仕えたいという祈り。学生宣教に携わりたいという祈り。


私が神様に祈った一つひとつの事柄がちゃんと覚えられていて、それが不思議な形で、私の想像を超えてつながり、道となり、ここまで歩みが守られてきました。


数年後の自分はおろか、数日後の自分が何をしているのか、生きているのかさえわからない私たちですが、後ろを振り返れば、確かに神様と祈って歩んだ道があります。

私は今、留学生宣教の働きをしています。なぜ私が留学生宣教なのか、という小さな疑問を持ちながら働いています。しかし、九州でGAを始めた時も同じように、なぜ私がGAなのか、を考え続けていたことを思い出します。2年間GAとして仕え、握った答えは「ともに祈る」ということでした。学生たちは、嬉しいことも悲しいことも共有してくれます。隣で彼らの悩みを聞いているからこそ、彼らの喜びは嬉しいし、悲しみは痛みました。彼らと一緒に、御前に出て祈ることが私の日々の働きでした。


関東での新しい働きでも、ともに祈ることがもうすでに始まっています。一緒にささげる祈りの一つひとつが、御前への香となって立ち上っていきます。

英語が得意なわけではありません。しかし留学生も、学生宣教の同労者であり、宣教地です。同じように彼らの隣で耳を傾け祈ることができるように、と祈っています。

GAとして仕えることを祈ろうと決めた時、私が得た神様の感動は忘れることができません。この日本で、学生たちが賛美し、祈り、真剣に神様との関係を考えている姿に、神様の大きな喜びを感じたのです。


その喜びは薄れることなく、今も私の心にあって、私を学生の元へと動かしています。

 あなたを慕い求める人たちがみな

 あなたにあって楽しみ 喜びますように。

 あなたの救いを愛する人たちが

 「神は大いなる方」と いつも言いますように。

 (詩篇 70:4、新改訳2017

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