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愛された者として生きる

更新日:11月14日


ショートメッセージ#16 執筆担当:城間創(卒業生宣教局担当主事・沖縄地区担当主事)



「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。 マルコの福音書10:15-16

今年の3月末に私たち家族は沖縄に引っ越してきました。環境の変化に戸惑いを覚えつつも、新しい出会いの喜びを感じる今日この頃です。5歳の息子も、環境の変化に戸惑いを覚えているようです。息子は、私が奉仕している教会の付属幼稚園の年長として入園しました。新しい環境、新しい先生、新しいお友達、なかなか言葉にできないフラストレーションを感じているようでした。しかしそんな息子に優しく、愛をもって接してくださる先生方、お友達がいます。「〇〇くーん、〇〇くーん(息子の名前)」と息子を見かけるやいなや、走り寄ってくるお友達。息子は戸惑いを覚えつつも、自分が無条件に愛されていることを徐々に感じてきているようです。


イエス様は言われます。「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」神の国とは、神様の愛の支配が及んでいる国と言えるでしょう。大人はどうやったら神の国に入ることができるのかと考えます(マルコ10章17節以降をお読みください)。洗礼を受ければ、奉仕をしたら、毎週礼拝に行けば、という“行為”によって神の国に入れると考えるかもしれません。しかしイエス様は「子どものように」と言われます。子どもはどうやったら神の国に入れるかなど考えていないのです。イエス様は私のことを愛してくださっている。だからイエス様のもとに躊躇することなく飛び込んでいくことのできる子どもたちがいます。何も持たずともイエス様に愛されていることだけを知っている子どもたちなのです。私たちはイエス様の無条件の愛に戸惑いを覚えることがあるかもしれません。こんな私が愛されて良いのだろうか。愛してもらうために何かしなくては。でも、そうではない。イエス様は言われます。「子どものように神の国を受け入れてみなさい」と。あなたはすでに神様に愛されている。そのことを知って欲しいと願っておられるイエス様なのです。


息子は先生やお友達からの愛に戸惑いを覚えていました。でも、その愛を「ありがとう」とそのまま受け取ったら良いのです。イエス様から愛され、人々から愛された者として生きて良いのです。そして、その愛をたくさん味わった息子は、その愛を隣人へと注いでいく。愛されているから愛していくことができる。そうして神様の愛は全世界に広がっていくのではないでしょうか。まずは、神様が私を愛してくださっていることを“知る”ことからはじまる神の国。今日も私たちは神様から愛された者としてここから出ていきたい。


「イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」

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