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待ち望んだ場所・友


証し#46 執筆担当:金田太助(九州地区運営委員長)


私の両親は牧師です。私が5歳の時に父母が献身して、私が小3の時に神学校を卒業して牧師になりました。そして私が小5になる時から現在まで、熊本の教会に遣わされて牧会をしています。私は今も実家暮らしで大学に通っていて、おうちは教会です。


私が熊本に来てから、神様の不思議な導きがたくさんあって、小学生から中学卒業までの間は土日に死ぬほど友達が遊びに来るようになっていました。ほぼ毎週10人くらい、すごいときは20人を越える友達が「ここなら大勢で集まっても大丈夫」ということで、友達が友達を呼ぶ形でおしかけて来ていたのです(もちろんみんなノンクリスチャン)。土曜日は昼間から遊び、日曜は礼拝の時間が終わる頃に集まり始めて日が暮れるまで遊び散らかして、毎週嵐がやってくるような感覚の日々でした。


私はそんな彼らと思い出の時間をたくさん作ることができました。今でも大事な宝物で、本当に神様に感謝しています。でも、私には彼らを迎え入れる中でどうしても1つだけ抱えるストレスがありました。


それは信仰を分かち合う友がいなかったこと。祈り合える仲間がいなかったこと。

確かに遊んでいて楽しいのです。確かに面白おかしい。でも何か物足りない。

毎週たくさんの友達を迎え入れることは勿論楽しいですが、同時になかなか大変ですし、時にはぶつかり合いがあちこち起きたりもして、それなりに疲れます。でもそんな時に傍らで一緒に祈ってくれる仲間がいないことは私にとってはとても孤独で、ちょっと辛いことでした。


そんな気持ちを母に話したときがあります。すると母は大学生の頃に東北KGKにいたという話をして「お前も大学行けば仲間がたくさんできるよ」と“中学生”の息子に言うのです。「どんだけ先や!」と思いつつ、その頃から期待の心を温め続けて祈り…、なんやかんやあって私も遂に大学生になりました。そして待ってましたと言わんばかりに、九州KGKへ一直線に飛び込んでいきます。


私が入学したときはコロナウイルスが一番流行していた時期だったので、KGK初参加の集会はZOOMによるオンラインでした。集会の始まりの祈りの途中でそっと目を開けてみると、そこには心を合わせて祈る同年代のクリスチャンたちの姿がたくさん映っていました。その時の言葉に表せない感動と、神様への感謝で満たされたあの感覚は今でもハッキリ覚えています。本当に、本当に、自分が心の底から待ち望んでいた場所、そして友たちでした。

もう孤独ではありません。神様が与えてくださったこの交わりの場所と友達一人一人との関わりを、これからも大切にしていきたいと思います。


神様、僕の祈りを聞いてくれて本当にありがとう。

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