ショートメッセージ#13 執筆担当:佐々木実穂(北海道地区GA)
主は私を広いところに導き出し
私を助けてくださいました。
主が私を喜びとされたからです。
詩篇18:19(新改訳2017)
心に何かがつまっているように感じる、聖書を読んでも、祈っても満たされない。
そんな時が人生の中で訪れると思います。そのような状況の中で心に留まったのがこのみことばでした。
詩篇18篇はダビデが神の救いを感謝し賛美している歌で、Ⅱサムエル記22章にもほとんど同じ内容が記されています。
私は何かがつまっているように感じる状況でこの詩篇を読んだので、
広いところってどこだろう
私は助け出されていない
神様は私を喜びとされていないだろう
そんなことが思い浮かんで心に窮屈さを感じていました。
「広いところ」は神の御前だと思います。そこには安心感があって、罪がなく、神に愛されていることがわかり、自分自身の傷ついた部分が回復していく、そんな場所です。
一方狭いところは神から離れていく先で、責める声が聞こえたり、足りない自分に目が留まったり、窮屈さを感じます。聖い神の御前に自分はふさわしくないと思い、神から、神のことばから離れていく時に、より狭く、苦しい状況に陥っていきます。罪は窮屈さを感じさせ、滅びに至ります。
しかし神は、私たちのことを御前に導き出して、助けてくださいます。自分の力で窮屈さから抜け出そうとするのではなく、神ご自身が導き出してくださるのです。自分の力で罪を解決することはできません。しかし、父なる神が、その独り子であるイエス・キリストをこの地上に遣わし、十字架の血によって私たちの罪をすべて解決してくださいました。私たちはイエス・キリストを通して罪が赦され、神の前に出ることができます。そして平安や喜び、自由、愛を受け取ることができるのです。
それだけでなく、神は私たちの存在を喜ばれます。ダビデは苦しみの中にあっても、神に信頼することを諦めず、主を呼び求め、神に叫び求めました(6節)。そして助け出され、その信仰が喜ばれました。ダビデを広いところに導き出して助け、喜びとされた神は、私たちのことも助け出そうとしています。窮屈な罪の中で押し潰されていくのではなく、神が広いところに導き出してくださること、助けてくださることに信頼し、私たちを喜びとされることを信じていきましょう。
今、心につまりを感じている方や満たされない思いでいる方が、神の御前に導かれ、助け出され、喜びとされていることを受け取れるように祈ります。