証し#57 執筆担当:富田詩織(関東地区担当主事)
私は今年の三月でKGKを退職することになりました。三年間という長いようで短い期間でしたが、これまで多くの方々に支えられ、祈られてこの働きが守られた事を痛感しております。
三年前にKGKでの働きをスタートした時は、コロナが流行りだして二年目の時でした。いつ、この感染症を心配せずに大声で賛美をして、食事の交わりを再開できるのか、全く見通しが付いていない頃でした。学生とは画面上で「はじめまして」を交わし、学生たちのZoomの操作の手際の良さに驚きました。画面越しでは思うように関係を築く事ができず、悶々としていました。
主事になって一年目の秋に、体調を崩してしまい、人生で一番しんどい時期を過ごしました。体が思うように動かない、日常生活を送るのもままならない状態が続き、自分の無力さと、ただただ神様の恵の中で自分が生きてきたことを思い知らされました。多くの方に助けの手を差し伸べてもらい、今までの自分がいかに高慢であったかを知りました。
私はこの働きに相応しくないのではないか。神様は私を間違えてこの場所に置いてしまったのではないかと考える事が多くありました。神様は、なぜ私をこのKGKという場所に派遣されたのか、分からなくなりました。
それでも、三年間の働きを振り返ったときに、神様は多くの暖かい思い出を下さった事に気が付きます。電車の外を流れるのどかな景色を眺めながら、学生とKGKについて語る時間。聖研の中で自身の人生観について問われ、ポロポロと話しをしてくれる時。キャンプの最終日、初日と比べて声が大きくなった全体での賛美。学生が卒業したあとも続いた交わり。
私自身の感覚としては、この三年間は本当に何もできなかったと思います。人に与えようと意気込んではじめた働きでしたが、私の方がいただくばかりでした。神様がなぜ私をこの働きに遣わしたのか、いまだによく分かっていませんが、それはいつか神様に直接聞いてみようと思います。神様が下さった出会いと、経験に感謝しています。KGKのこれからの歩みのために、学生たちの成長と信仰のために、祈りつづけたいと思います。
またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
マルコの福音書4章26節-27節