良書紹介#3 執筆担当:高木雄基(全国事務局担当主事)
『共に生きる生活』(ディートリヒ・ボンヘッファー著、森野善右衛門訳)
「ひとりでいることのできない者は交わり〔に入ること〕を用心しなさい。交わりの中にいないものは、ひとりでいることを用心しなさい。」
あるテキストにこの一文が引用されており、それがきっかけで本書を手に取ったことを覚えている。本書には牧師ディートリッヒ・ボンヘッファーによる、キリスト者の生活についての問題提起とそれに対する提言とが綴られ、どの部分を切り取っても、その含蓄のある言葉に刺され、問われる。余分な言葉がなく、キリスト者の生活の核心、本質へと突き進む迫力が詰まっている。本書を通して、私は著者に叱られ、戒められたように感じた。「この先にもっと深く、真の喜びがあるキリストとの生活があるというのに何をそんな表層的なところで留まっているのか、もったいないなぁ」と言われている感じだ。
本書が書かれたのは、1938年ナチス政権下で戦争に向かっていく情勢下であり、キリスト教会が問われた時代、ドイツ教会闘争の最中であった。危険と隣合わせの状況において、ボンヘッファーは一度ニューヨークに亡命するも、すぐにドイツに戻り、あえてドイツの教会に留まり続ける事を選んだ。著者の背景を踏まえながら、本書を読むとまた重みが増すだろう。
本書は「交わり」から始まり、キリスト者の生活について言及していく。祈り、聖書朗読、共に賛美をささげることについて、また労働することや、ひとりでいること、奉仕することについて、それぞれ本質を明らかにし、中心におられるキリストを指し示す。代わり映えのしないように感じられるかもしれない日常生活の中で、与えられている神からの真の恵みを受けるようにと力強く読者を引っ張っていく。
オンラインによる交わりが定着しつつある今日、とりわけ私たちがよく口にする「交わり」について、改めて問われているように思うので、本書を通して改めて「交わり」の本質について思い巡らすのもよいと思う。
ボンヘッファーはキリスト者の交わりとは、「イエス・キリストを通しての、またイエス・キリストにある交わり」であると語る。さらに「私たちの交わりが、いっそう真実な、より深いものになればなるほど(中略)ただイエス・キリストとその御業だけが私たちの間でいっそう明確になり、純粋になり、生き生きとしたものになる」と交わりが向かっていく深淵を指し示すのである。
それゆえ、交わりは「理想ではなく神的な現実」として捉えるべきだと警鐘を鳴らす。交わりに対する「人間的理想像」は真正の交わりを破壊すると言い、「キリスト者一般に対する、そしてうまく行けばまた私たち自身に対する大きな幻滅が、私たちを打ちのめさなければならない。それは神が私たちを真実なキリスト者の交わりの認識に導こうとしておられるのが確かだからである。」と私たちの認識を正してくれるのである。
私は本書を通して、交わりに臨む姿勢を正され、キリストを待ち望む思いを新たにさせられた。ぜひ本書を手に取って、ボンヘッファー師から共に叱られ、共に戒められ、キリストと共に生きる生活を求めていただきたいと願っている。