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主の羊として生きる


ショートメッセージ#26 執筆担当:戸澤元宏(関東地区担当主事)



「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」詩篇23篇1節(新改訳2017)


羊は家畜です。羊飼いがいなければ生きていけません。例えば、羊特有のあのフワフワの毛は、羊飼いに刈ってもらう必要があります。でないと転んだ時に自力で起き上がれなかったり、暑さで死んでしまったりするそうです。羊もその事をよく理解していて、自分の所有者である羊飼いに従い、頼り、依存します。毛を刈られる時の、あの無防備な羊の姿は、羊飼いへの信頼ゆえでしょう。


この詩を謳ったダビデは、羊と羊飼いの関係に、自身と主なる神の関係をなぞらえます。自身を非力な羊に例えます。そこにあるのは「私は自力では生きていけない」という自己理解です。


ダビデには、いくつもの肩書きがありました。幼い頃は羊飼い。その後は幾多の戦いで勝利した戦士。イスラエルの王。詩人。音楽家でもありました。多才で有能な人だったでしょう。一方で多くの窮地に立たされた人でもあります。先代の王や自身の息子に命を狙われました。最も親しい友人との別れもありました。深い痛みと悲しみを経験しました。かと思えば、今で言う不倫を犯し、相手の夫を死に追いやりました。彼は罪と弱さも持ち合わせていました。


それでもダビデは「私は乏しいことがありません」と告白します。側からみれば乏しいと思える状況にあっても、彼がこのように満ち足りることができたのは、自分が多才で、有能だったからではなく、ひとえに、主が彼の羊飼いであるからでした。彼は主なる神こそ、自分を満たしてくださる唯一の方であることを信じ、そのことを知っていました。そして自分は主の所有物であり、主なる神に牧されることを受け入れていました。


皆さんが思い描く幸せで満ち足りた人生とは、どの様なものでしょう。クリスチャンはイエスキリストを信じた時から、贖われ、主のものとされています。ここに私たちの本当の喜びがあります。羊飼いなる主が先頭に立って導いてくださいます。その後を追っていきましょう。それでも主を見失い、乏しさを覚える時があります。しかしそんな時こそ、思い出したいと思います。


私は自分の力では生きていけないこと。

神様が唯一私を満たしてくださる方であること。


私たちの学校、バイト先、家庭、教会での歩みが、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」という信仰告白から始まり、豊かで満ち足りたものとなりますように。

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