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主のまなざしの中で、変わりゆくライフステージを生きる


証#77 執筆担当:中川麻祐(研修メンバーケア部主事)


研修メンバーケア部の中川麻祐です。

主事の働きは11年目となりました。その中で3回産休・育休を取っているので、実際に働いてきた時間は半分くらいかもしれません。いや、子どもの体調不良などでお休みすることも多かったため、半分以下かもしれません。

働きと家庭との両立がいつも課題であり、子どもの体調不良時の対応や、子どもとの時間の取り方、夜の祈祷会やキャンプ・合宿への参加の仕方などに悩み、葛藤してきた期間でした。保育園の待機児童の課題もあり、出産したものの、ちゃんと復帰できるのかといつも不安でしたし、そんな状況の中、子どもの誕生を願い、妊娠を希望すること自体が、常にチャレンジだったと振り返ります。

 

献身とはなんなのか。

女性として働くことには限界があるのか。

私がKGK主事としての召しを受け取り続けるとはどういうことなのか。

そんなことをいつも考えさせられ、主への献身の召しがぐらぐらと揺さぶられるような11年でもありました。

 

もっと長い時間働ける優れた人がたくさんいるのだから、私なんて、もぅ必要ないのではないか。

そんな自分の心の声にも何度も惑わされてきましたし、他にお母さん主事のモデルがいない孤独感や不安がいつもありました。

そして、何よりも学生と関わる中で、交わりの限界を感じ、不全感しか感じられない時期も長く過ごしました。

バリバリ働く他の主事たちを見ては、落ち込み、悔しさとやりきれなさ、また嫉妬が入り混じったような感情を抱え、自分への自己嫌悪にも苦しみました。

 

そんな、召しに悩み葛藤する時期を経て、私は昨年度から研修メンバーケア部という、学生会からは少し離れた部署で、主事やGAたちのケア、研修の企画などを担う働きをしています。

日中にできる働きが多いので、子どもがいる生活スタイルにも合っていますし、これまでの学生会での経験や、関東地区での主事会の経験なども活かしながら、働けています。

また、自分に与えられた思いや賜物にも合っている働きであることを感じています。

 

ある時、主事会の交わりの中で、長距離ランナーを目指そうと思ったことがありました。

入れ替わりの激しいKGKの中で、長くチームの歴史を見ること、そのために、今を全力で走るのではなく、長く走れるための走り方を考えることを大切にしてきました。

学生との時間が本当に好きだったからこそ、「今、学生と全力で走りたい!」という気持ちがいつもあり、迷いと葛藤がありましたが、少しずつ手放していくことを教えられ、ライフステージの変化とともに神様の導きに身を委ねていくことを教えられていきました。

そして、そんな神様の導きに身を委ねていく歩みの先に、この研修メンバーケア部での働きが備えられていたように思います。

 

女性の人生の歩みは激動で、不安定です。特に、主の働きを担おうとするとき、それはさまざまな形で、影響を及ぼします。振り回されるように感じることもあります。

でも、その激動の波に乗っていく時、神様は思いもしなかった場所へと導いてくださるのだと思います。

 

私の歩みを振り返っても、その波に抗っている時は、もがき苦しみ、溺れていくような辛さがありました。

むしろ、自分の願いや思いを大切にしつつも、その導きに身を委ねていったとき、不思議と主にある確信と平安をいただいてきたように思います。

 

献身の思いが与えられた頃や、あの苦しかった時期には想像もしなかった形の働きが、今、ライフステージの変化やKGKの必要、そして私の思いや賜物にもあった形で与えられていることに、大きな驚きと感動を覚えています。

しかし、驚きである一方で、これまでの人生の伏線が回収されていくような心地よさや、必然性のようなものも感じています。

私の目からは見えていなかっただけで、神様の目からは見えていたであろう美しさを感じます。

「人生とは、美しい刺繍を裏からみているようなものだ」(ティヤール・ド・ジャルダン)という言葉が、今はよくわかります。

 

これからも、また不安定で、激動の歩みが続いていく予定ですが、さまざまな変化や不安定さの中にあっても、主の御業の確かさに信頼し、その導きに従って、しなやかに歩んでいくことのできる者でありたいと願います。

 

「あなたの行く道すべておいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)

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