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ボドゲにおいても福音に生きる

更新日:1月5日



証し#11 執筆担当:松島基紀(関東地区KGK実行委員長・明治学院大学4年)

みなさんこんにちは。明治学院大学4年生の松島基紀です。関東地区で実行委員長の奉仕をさせていただいています。


そんな私なんですが、クリスチャンではあまり見ない(意外と多い?)生粋のゲーマーです。ゲーム大好きクリスチャンです。


Nintendo SwitchやPlayStationなどのコンシューマゲームも大好きで一日に8〜10時間くらいプレイする日もあるのですが、それと同じくらい僕が好きで、今日お話ししたいのは「ボードゲーム(ボドゲ)」です。

ボードゲームとはアナログゲームやテーブルゲームとも呼ばれるような種類のゲームです。代表的なもので言えばオセロや将棋・チェス、人生ゲームやmonopolyなどが挙げられます。


でもこれはボードゲームのほんの氷山の一角に過ぎません。今世界に存在するボードゲームは2万種類とも言われ、年間1000個の新作ボードゲームが発売されています。これはあくまで概算で、サークルなどの自主制作のものを含めれば把握することができないほどのボードゲームがあります。(出典:https://happy-bodoge.com/bodoge-shurui)

無数に存在するボドゲですが、どんなボドゲも共通した特徴を持ちます。それは「新たな世界を作り出す」ということです。


ボドゲの種類はさまざまですが、どのボドゲにもだいたい設定というものがあります。一国の王として国を繁栄させたり、秘密結社の一員として世界の危機に立ち向かったり、街中を逃げ回る怪盗を追う刑事になったり。僕の友人の言葉を借りるなら、「ボードゲームはごっこ遊び」なんです。でもそれが大きな魅力です。

そのような特徴から、ボドゲはプレイする人を誰でも迎え入れます。たとえ初対面であったり、あまり喋ったことがない人でも大丈夫です。それは、一緒にプレイするボドゲが、設定とルールを通して私たちに新たな「世界」を与えるからです。私たちは何者で何を目指しているのか、何をしなければいけないのか、それらが与えられて参加者はその世界の住人となります。一緒にボドゲをプレイすることは一緒の世界を共有するということです。同じ世界にいるからこそ、それまでの関係に依存しないコミュニケーションを取ることができるのです。

ボドゲをプレイするにあたって関係性はいりません。しかしボドゲを通して培われる関係性があります。ボドゲを通して参加者の「人格」と触れ合うからです。


「この人はしっかり先のことまで考えてプレイしてるな」「この人は意外とずる賢い立ち回りをするな」「自分のターンじゃなくても結構喋って面白い人だな」などなど多くの発見があります。(当然ですが中の良い人たちとやるボドゲは格別に楽しいです。)

僕はボドゲのこの力に、伝道のツールとして大きな希望を抱いています。みんなが楽しくコミュニケーションを取ることができて、人を選ばず、手軽でとっつきやすい。そしてそこから培われていく関係性への期待が持てます。まさに伝道の入り口・きっかけに最適です。

ボドゲをしながら聖書や信仰の話は中々できないかもしれません。でもそれが良さでもあります。こちらも変に肩肘を張る必要もありませんし、ノンクリスチャンの方も「クリスチャンの交わり」ということを意識しすぎなくていいからです。まずは目の前の精一杯ボドゲを楽しみつつ、その先にある、より豊かな人格的交わりに期待することが大切です。

私はKGKの交わりを通して「全生活・全生涯を通した証し」を学びました。「全生活」である以上、それはボドゲで楽しく遊んでいる時も例外ではありません。


「自分がクリスチャン」ということは、ボドゲをプレイするため新しい世界に入った時、形の上では一度脇に置かれます。しかし私たちのうちには消すことのできない信仰の灯火が燃えているはずです。


ボードゲームのような「遊び」は、一見信仰とは離れているように見えますが、それもみことばに立って理解するということを、私はKGKで学びました。それを「ホーリスティックな福音理解」と言うそうですが、それは、祈る時、礼拝する時、聖書を開く時だけでなく、すべてにおいて、救われた者として、信仰を持って聖書的世界観に生きることです。


それは何もクリスチャンだから正々堂々としたプレースタイルじゃなきゃいけないとかそういう話ではありません(ルールは守る必要がありますが)。私たちはボドゲをプレイする時、それが明らかに罪を助長するボドゲでなければ、それを与えてくださった主に感謝しつつ、思いっきり楽しむということだと思うのです。


ボドゲで遊ぶことはめちゃくちゃ楽しいです。でもそれはボドゲが楽しいからではないと思うのです。伝道者の書2:25には「実に、神から離れて、誰が食べ、誰が楽しむことができるだろうか」とあるように、その交わりの中心に神様がいてくださって、その時間を良いようにしてくださるからです。ボドゲはその助けとなる一つの形です。


私たちはボドゲで遊ぶことを含む全生活を通して、主を喜び、主を証しすることへと、遣わされた地で福音に生きることへと召されているのです。


ぜひ、これを読んでくださったみなさんも、ボドゲを用いて、教会やKGKの交わりを深めていただきたいと願っています。

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