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みことばの種


証し#44 執筆担当:佐野真(東北地区KGK地区役員会委員長)


今年の4月に千葉県に住んでいる友人が仙台に遊びに来ました。その友人とは小学校低学年の時からの付き合いで、小さい頃は日曜学校に一緒に参加したり、クリスマスには教会に来てくれたりしていました。土曜日の朝に仙台に来て日曜日の夜に千葉に帰るということで、それならばと礼拝に誘うことにしました。東北地区の永井主事や教会の牧師先生、KGKの友人にもそのことを話して祈ってもらっていました。


そうして友人が遊びに来た土曜日の夜、勇気を出して「明日、特に行きたいところないなら一緒に教会行かない?」と誘いました。彼は少し考えた後で、「ずんだ餅食べたいから仙台駅行ってくる」と断られました。ガクリと肩が落ちました。「そういうのはいいかな」という風に断られるのは想定していましたが、理由がずんだ餅って…。昔は聖書の話とか一緒に聞いていたけど、彼の中ではどういう形で残っているのだろうか、もう興味はないのだろうか…。そんなことを考えながら、少し落ち込みながら1人で教会に行きました。


その日の礼拝では、歴代誌 第二の33章からメッセージが語られました。その箇所では南ユダの王であったマナセについて書かれていました。マナセは神を捨て、偶像礼拝をし、主の目に悪とされることを行っていました。そんなマナセに対して主は悔い改めるように語り続けます。マナセはその後、苦しみの中で主に悔い改めるのですが、そこに至るまで49年間かかりました。主はその間、ずっと語り続けられました。その箇所からのメッセージの中で、「みことばの種はいつか芽が出る」ということが語られました。主がマナセに語り続けられ、そしてマナセが悔い改めたように、今は何も変わっていないように見えても、いつかは必ず芽が出るのだ。そのことが、メッセージの最中にも落ち込んでいた私にとって大きな励ましとなりました。


その友人のことに限らず、いろいろな人との関わりについても励ましを受けました。今は教会から遠く離れてしまっているあの人、学内の聖書研究会に参加してくれたノンクリスチャンの学生、神様に救われるように祈り続けている友人…。何度も、彼らには神様の言葉が届くのだろうか、いつかこの働きは実を結ぶのだろうかと迷ってしまいます。ですが、マナセのことを通して語られたように、いつかは私たちにはわからないけど、いつか必ず芽が出るのだということを信じて、これからも彼らと関わり続けていきたいです。

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