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みことばに聴く



ショートメッセージ#9 執筆担当:郷崇治(関東地区GA)

ルカの福音書10章38〜42節


この箇所で、イエス様は弟子たちとともに、ある村でマルタ・マリアという姉妹の家に迎えられます。マルタが色々なもてなしに気を配る一方、マリアは手伝うこともせず、ただ座ってイエス様の話に聴き入っています。マルタは我慢しきれなくなり、姉妹への不満を口にしました。ところが、イエス様の答えは意外なものでした。

主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」(41〜42節)

この場面でマルタが主のことばに聴くことをしなかったのは、決して自分勝手な理由からではありませんでした。イエス様という大切なお客様のために、必要と思う奉仕をしていたのです。それは立派な行為でした。イエスも決してその奉仕を全否定したのではないはずです。


一方でイエス様は、それでも優先順位がある、と語っておられます。マリアが選び取った「イエス様に聴く」という行為は、同様に大切に思える他の活動や奉仕にも優って大切なものだ、と。もちろん、文字通り他には何もせずイエス様にひたすら聴くべきだ、ということではないはずです。しかし、イエス様はマルタに、もてなしの途中で時間を取り分け、ただ聴く、ということもしてほしかったのかもしれません。「必要なことは一つだけです」(42節)。みことばに聴くことは、多くの良い働きや奉仕によって隅に追いやってしまってはならないものなのです。


私たちは日々主に聴いているでしょうか。そのような時間を豊かに味わっている方もいらっしゃるでしょう。一方で、個人的なディボーションや、教会の礼拝や交わり、KGK関係の聖研など、みことばを味える機会にあまり身を入れられていない、ということもあるかもしれません。


多くの場合私たちは、みことばに聴くことは大切だ、とは認識します。しかし、他の「大切なこと」よりも優先すべきほどに大切だ、と認識しているでしょうか。様々なそれ自体は良い活動のために、スケジュールを埋めてしまい、みことばに聴く時間を隅に追いやっていることがあり得ます。その結果マルタのように、心を乱し、思い煩いに支配されることになってしまっても不思議はないのです。


神様に耳を傾けることが「必要なただ一つのこと」であるとは、何と大きな恵みでしょうか。私たちには日々、課題や仕事、様々な「やること」があります。しかし、やることがたくさんあり、その波がいつ終わるか見通せないような状況の中でも、手を休めて時間を取り分け、主を見上げることを神様は喜んでくださるのです。忙しい毎日の中でも、ペースを一旦落として、後ろめたさを感じることなく神様との交わりを楽しんで良い、ということは何という特権ではないでしょうか。


私は3月で、2年間の関東地区GAとしての奉仕を終えさせていただきます。これまでKGKを通して、聖書を読むことや、静まりの中で主の語りかけを思い巡らせることを教えられてきました。今後の自分の歩みの中でも、「必要なただ一つのこと」にいつも立ち返り続けたいと思います。

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